自ら願い出て様々な部署で貴重な経験を重ねる。
まず、宮下さんのこれまでの経歴を簡単にご紹介ください。
カスタマーデベロップメントとして入社して研修、内勤を経て2年目から大手ホームセンターの営業担当を1年9ヶ月行い、マーケティング部門に異動しました。そこで、男性化粧品のAXE(アックス)を約1年担当。その後、ユニリーバトルコでeコマース関連の仕事を行い帰国。営業企画と経営企画を合わせたようなカテゴリーオペレーションという部署で1年9ヶ月、そして2016年より再びマーケティングに復帰しています。
入社7年目ですごいキャリアですね。
普通の企業なら、入社2年目で大手ホームセンターを担当させてくれることはないと思います。このホームセンターは、ユニリーバの中でも10番目くらいに売上の多いお客様で、普通の会社だったらエース級の営業マンに担当させるでしょう。
なぜ、2年目の新人が担当することになったのでしょうか。
ぼくがやらせてくださいと、会社に訴え続けていたからです。絶対、結果を出しますからお願いしますと、いい続けていて会社が承諾してくれたのです。若いうちから重要な職務を担うチャンスがあるというのがユニリーバの魅力のひとつです。ぼくは、ひとつひとつ着実にキャリアを積み上げていくより、高い目標を立てて、そこに向かって努力するタイプなのです。そうした自分の特長とユニリーバの風土が合っていたといえます。
結果は、どうでしたか。
1年目に売上を落としてしまいました。期待を裏切ってしまったのです。東日本大震災の後で物流の供給がうまくいってなかったというのもありましたが、大きな挫折感を味わいました。その悔しさをバネに2年目は、まず、チームとして目標を明確にし、それを細分化していきました。年別、月別、週別、日別にまで目標を落とし込み、週目標でずれていたらすぐにリカバリーする。また、足を使ってとにかくお客様のもとへ行くことを心がけました。全国に広がるホームセンターの支店にも足を運ぶため出張の連続。請求書をお渡しするのも、わざわざ届けに行ってました。そういう行為を好まれるお客様だったこともあり、信頼関係を構築できました。
2年目は目標達成できたのですか。
かなり厳しい目標を設定したのですが、達成することができました。1年目の悔しさがあったのでとてもうれしかったです。裏の非常階段で叫んでしまったくらいです。自分にとって営業は、スポーツ選手の基礎体力みたいなもの。バスケットボールの選手がいきなり3ポイントシュートの練習をしても、試合で走り切れる走力と体力がなければ戦えません。だから、まず営業をしっかりやりたかった。その上で、ユニリーバの伝統的な強みとされるマーケティングを経験しようと考えました。
それで、マーケティング部門への異動を願い出たのですね。
はい。2013年から男性化粧品のAXE(アックス)を担当しました。ここでの成功体験は、世界同時展開となるグローバルキャンペーン「AXE宇宙飛行士選抜キャンペーン」です。マーケティング部門は想像以上にハイレベルで、上司に提案した企画を何度も何度も突き返されました。でも、結果的にキャンペーンのメディア露出も最高を記録し、大成功を収めることができました。
そして、トルコに行かれるわけですね。
海外で活躍するというのは、入社前から自分の根っ子にあるビジョンで、ずっと思い描いていました。トルコはまだamazonが進出していない国なのですが、amazonのような現地企業とユニリーバトルコのeコマース部門とジョイントビジネスプランを推進していくのがミッションでした。実は、ユニリーバトルコの営業組織はグループ最強といわれており、トルコ国内で人気No1企業なのです。
マーケットも日本とかなり異なるのでしょうか。
例えばダヴの「リアルビューティ・スケッチ」あなたは、自分が思っているよりもずっと美しい。というキャンペーンがあります。カンヌでグランプリを受賞し、大きな話題となりました。あのキャンペーンは、トルコでは全然刺さらなかった。なぜかというと、トルコ人はみな自分を美しいと思っているので、わざわざ美しいといわれてもピンとこないのです。コミュニケーションの取り方もかなり違います。トルコ人はミーテイングも白熱し、衝突を恐れずに自己主張します。自分は弁が立ち、説得やコミュニケーションスキルも高いと思っていますが、トルコ人のレベルと比較するとまだまだです。しかし、環境適応力はかなり高いと実感できました。異文化に入ることで自分の強みを相対的に認識できたのは大きな成果です。
ユニリーバは、自分にとって親のような存在。
環境適応力やコミュニケーションスキルもさることながら、高い目標を掲げ、そこに向かって努力を続けられる力が素晴らしいです。学生の頃から持ちあわせていたのでしょうか。
中高一貫の学校でまったく勉強せずに部活のラグビーだけやっているような学生でした。高校時代、神戸大学の法学部に入学したいとマインドセットして、そこから猛勉強を始めたのです。まったく勉強ができなかった自分ですが、目標を設定してそこに向かって努力を続けることで大学に合格することができた。これが最初の成功体験です。法学部を志望したのは、グローバルに活躍できる人間になりたいという思いが根底にあり、国際関係の仕事につくには外交官など、法学部が近道だと考えたから。このグローバルに活躍できる人間になる、というのが自分の変わらないビジョンです。
そのビジョンがぶれずにあるから、継続的な努力ができるわけですね。
グローバルな世界で長期的に活躍できる人間になる。そのために今、何が必要か。ぼくは自己分析をすごくやります。自分はなぜこれを始めたのか。自分は何を求めているのか。ワードに25,000字くらい書き起こして、自分のミッションやビジョンを明確化していきました。あれがあるから、目標に向かって走り続けることができるのだと思います。
それは、就活の時に行ったのですか。
グローバルに活躍するというビジョンは、高校時代から抱いていましたが、そのために何をすべきかという目標設定と自己分析を大量に書き起こしたのは就活時です。あるOBを訪問した際に、自分のことを質問されてわかりませんと答えたら、なぜ、自分のことなのにわからないことがあるの?といわれたんです。その時、考えてないからだと気づいたのです。就職活動という制度を自分の力で変えることはできないから、せっかくの機会なので、とことん自分のことを考えてみようと。
自分を深く掘り下げて、やりたいことを明確にしていくと、入りたい会社や自分と合う会社も見えてくるのでしょうね。
グローバルな企業である。若いうちから大きな仕事をまかせてくれる。新しいことにチャレンジできる。この3つを高次元で満たしてくれるのがユニリーバ。まさに、自分が求めていることでした。ユニリーバは人を杓子定規で測ることはしません。規定のフレームがあって、そこに人を収めるのではなく、いろいろな人が集まってユニリーバという形をつくっている。なので、いろいろな価値観とバックボーンをもった人に入社してほしいですね。オーナーシップ、自分は絶対これをやり抜くという情熱をもっている人には大きな活躍の場が与えられると思います。
ユニリーバは、宮下さんにとってどんな存在ですか。
ビジネス感覚もなく、数字も読めない、英語も話せない。そんな何もできない自分に様々な経験を与えてくれ、大きく成長させてもらいました。同年代のビジネスマンより明らかに経験が豊富といわれるくらい大きくしてくれた、まさに親のような存在です。まだ、自分は思春期くらいだと思いますが、これからたくさん親孝行したいですね。