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40歳までに起業したい。
あと10年、何を蓄えるかが勝負です。

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光延幸紘
法人事業統括 プロセスマネジメント本部
プロセス改革統括部 ワイヤレスソリューション推進室 企画課

お客様のもとに張り付く営業スタイルでNo1に。

光延さんが担当されている業務はどのようなものですか。

法人のお客様に対して、携帯電話やスマホ、タブレットなどの機器の販売からその後の運用保守までトータルにサポートする業務です。機器の大規模な導入展開や快適な電波環境を整備するための様々な施策を企画提案します。例えば、ショッピングモールでは、携帯電話の電波が脆弱だとテナントや来場客に大きな迷惑をかけてしまいます。どこに基地局を設置すれば快適な電波環境を実現するかを含め、お客様と綿密な打ち合わせのもと、進めていきます。

その仕事の難しいところはどんな点ですか。

携帯電話の電波というのはもはや社会インフラで、つながってあたり前というところがあります。昔は電波が入らない圏外エリアがけっこうありました。今はほとんどありませんが、圏内なのに電話が途切れるケースがあります。つながってあたり前の中切れるわけですから、お客様は不満に感じていらっしゃいます。そんな中で課題を解消していかなくてはなりません。成果が見えづらいところも難しい点です。

不満を感じられているお客様に納得していただく秘訣はなんでしょう。

誠意しかないですね。誠意をもって正直に話すしかないです。

現在の部署は長いのですか。

2年ぐらいです。私は2011年10月に中途入社したのですが、当初は法人向けの新規営業を担当していました。この時期はKDDIがiPhoneを発売し一気に競争が激しくなり、各社赤字覚悟のキャンペーンを行っていました。そんな時に私が注力していた営業が電話アポ。お客様の今困っていることをお聞きすることを基本に、ひたすら問題解決と使い方提案、販売後も一緒に何ができるかを提案するスタイルを貫きました。競争が激しい時期だったので厳しかったですが、非常に鍛えられました。

誠意と情熱の営業スタイルですね。それは、いつ頃確立したのでしょう。

前職が電子部品を取り扱う商社でした。その頃の営業スタイルはひたすらお客様のもとにいるというもの。この日は来るなという日以外はお客様の席にいて、仕事のお手伝いをしたりお茶を飲んだりしていました。ローテーションを組んですべてのお客様のところを回っていましたね。その頃に誠意と情熱の営業スタイルを確立したと思います。

当時はやはりハードワークでしたか。

商社での勤務は激務でした。毎朝7時台に秋葉原の会社に出社して、朝礼や定例会議の後は、お客様の会社に張り付くわけですが、お昼を食べられないこともあり、だいたい夕方に帰社。それから受発注業務を行い、会社を出るのは夜10時、11時。それで残業代もなかったですね。

そんな激務に耐えられたのはなぜでしょう。

自分の手がけた商品が世に出た時はうれしかったですね。電子部品だったので、パチンコのCR機によく使われたりしました。レインボーブリッジのたもとにある電源の部品も取り扱い商品で、採用された時はうれしかったです。そうした結果的な喜びだけじゃなく、全力をつくすというプロセスも喜びにつながると思うんです。やるからには全力をつくす。強制されると嫌なんですが、能動的にやると決めたら徹底するのが性分です。

東京と福岡の圧倒的な情報格差に衝撃。

子供の頃から全力をつくすタイプでしたか。

小学校5年でインターネットに出会い、夢中になりました。1998年ですから、まだダイヤルアップの時代。お金もかかるし、親に電話できないとしょっちゅう怒られていました。中学校3年で仲良くなった友達とホームページもつくりました。iモード向けの待ち受け画像と着メロサイトもつくり、アクセス数もけっこうあったのです。クリック課金で月5000円くらいの収入があったのですが、当時はサーバ代も月5000円くらいかかりましたね(笑)。あと、小学校5年生の頃ポケモンも流行っていてかなり入り込んでいました。

ポケモン?テレビゲームですか。

いえ、カードゲームです。私は福岡の大牟田市出身なんですが、ポケモンカードの福岡大会で4位になるなど、地元ではとても強かったんです。4位に入賞したので東京で行われる全国大会に出場できたのですが、全く勝てずに予選落ち。東京で行われているポケモンカードは自分の知らない組み合わせばかりだったんです。それで悔しくて泣きながら母親に秋葉原のカード売り場に連れて行ってもらったら、知らないカードばかりだった。もう、泣きながら母親に訴えましたよ。なんで、東京に住んでないんだと(笑)。それくらい、圧倒的な情報格差に衝撃を受けました。

その原体験は、その後の人生に大きな影響を与えたのでしょうか。

地方と都会ですごい情報格差があるということをリアルに体験できたのは大きかったです。大学時代は、勉強もせずに旅行ばかりしていたんですが、地方と都会、地方と海外をつなぐような仕事をしたいと思うようになりました。新卒で商社に入ったのことにもそんな思いがあったのかも知れません。

ソフトバンクに入社したのはどんな動機だったのですか。

新卒で入った電子部品の商社で利益1番になったんです。でも、秋葉原の電子部品業界って国内生産で成り立っていて海外には行かないんです。なんか世界が狭くて嫌だった。会社のNo. 1が世界のNo. 1になるような広い世界に行きたくなったんです。もともと孫さんが好きだったというのもあります。インフラからアプリまで多様なレイヤーがある総合力もソフトバンクの魅力でした。

入社してみてギャップはありましたか。

全然ないですね。面接もiPadについての世間話をしていたら受かっちゃったんです。すごい最先端のICTを世に送り出していますが、日々の業務はめちゃくちゃドロ臭くて地味なことも多いです。でも、すべて想定内ですし、全然苦になりません。

今、思い描いている将来のビジョンはどんなものでしょう。

40歳までに事業を起こしたいと思っています。同年代の経営者も出てきているし少し焦っています。あと10年何を蓄えていくかが勝負。そのためにも、コアな業務だけでなく幅広い知見を獲得していきたいですね。今後のソフトバンクグループを担う後継者の育成・発掘機関であるソフトバンクアカデミアに入っているのも、起業を意識してのこと。素晴らしい出会いがたくさんあり、メンバーと頻繁に連絡をとり、将来のことを議論できる貴重な時間をいただいています。

そんな将来のソフトバンクを共に担うかも知れない就活生に一言お願いします。

この会社は自分でとりにいけば、何でも与えてくれると思います。自分から仕掛けてつかみにいくスタイル。何をやりたいかわからないという人がいますが、ないのではなくわからないだけです。自分の過去を掘り起こしてみてください。すごくうれしかったこと、すごく悔しかったこと。忘れられない原体験は何ですか。私の場合は、ポケモンカードで負けた悔しさと情報格差の現実を知ったショックが原体験となっています。その周辺にけっこうやりたいことのヒントが潜んでいたりしますよ。

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