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突然ですが、総合商社の収益モデル(ビジネスモデル)の中で二つのキーワードを挙げてください!
答えは「トレーディング」と「事業投資」ですね。総合商社を受けられる方は絶対に押さえておいてください。
でも、みなさんはこの二つのうち、どちらが古いか知ってますか?実は、これをきちんと説明できると、これから「商社が困難にぶつかってもそれを乗り越えていける自信がある、というのを根拠をならべて」堂々と言えるようになります。今日は商社がいままでどんな困難も乗
り越えてきたという、タフな側面を紹介します。

総合商社って本当に社会に必要なの?

いきなり挑戦的ですけど、総合商社って社会に本当に必要ですか?

今はもちろんイエスと答える人がほとんどでしょう。しかし、実際に、この問いは今まで幾度となく総合商社になげかけられてきたものなんです。今日はその中でも世間の声が大きかったものを二つとりあげます。

総合商社斜陽論

最初に世間の声が大きくなったのは1960年代です。時は高度経済成長期、日本経済が年平均10%で成長していた時代です。そのときに、「総合商社いらないんじゃない?」という声が高まったんです。
「当時の商社の収益源泉は主に売買手数料」でした。つまり、メーカーさんが海外に何かを輸出したりするときに、海外の販売店などとの間に入って手続きや船の手配などを代わりにやってあげて、手数料をもらったりしていたんですね。(コミッション・マーチャントといいます。)メーカーが総合商社に頼んでいた理由は海外販売網について情報を持っていたり、アフターサービスもきっちりしていたからです。みなさんの感覚でいうと、海外旅行でガイドさんを雇うような感覚です。
ところが、メーカーもどんどん成長していき、そのうち自社で海外の販売網を把握するようになりました。もうこうなってくると、「なんで間に商社がいるの?自分たちでできるからもういらないよ」ということになってくるだろうといわれるようになりました。それが総合商社斜陽論です。手数料を払ってまで頼む必要はないだろう、と世間から言われるようになりました。
しかし実際、商社は自分たちに付加価値をつけて生き残りました。例えば、単に仲介を行うだけでなく、メーカーと協力して事業を展開しました。また、世間の予想ではメーカーが大きくなったら自分たちで販売も行うだろうという予想でしたが、実際はメーカーにそんなお金の余裕がなく、やはり流通のサポートに商社は必要だったんです。それに、巨大なメーカーに対して、販売先の企業は中小企業で相対的に規模が小さく、一社一社対応するのはメーカーとしても面倒で、そういう面倒なことを代わりにやってくれる商社は大変ありがたかったわけです。こうして、商社はただの貿易会社ではなく、「市場開拓」を手伝ったり、現地の「情報」を集めて提供する機能も身につけたわけです。これが、最初の困難といかにそれを乗り越えたかという話です。

総合商社冬の時代

1980年代には日本経済を揺るがす問題が発生しました。それは、二度にわたるオイルショックです。これにより、総合商社が当時基盤としていた素材産業が構造不況業種となり、商社には厳しい時期となった。この他にもいくつか商社に不利になる事象が重なったが、1986年以降景気は回復し、内需も拡大、「商社冬の時代」を結果的に乗り越えられた。

二つの大きな困難から学べることって何?

細かくいえば、オイルショックだけでなく、円高不況やバブル崩壊など、商社は様々な困難を乗り越え、そのたびに新しい事業分野への進出とビジネスモデルの変革を進めてきました。収益のあげかたでも、昔のメインの収益は口銭(コミッション、売買手数料)や売買差益でしたが、今は投資収益(配当収入)がメインになりました。
「商社に変化はつきもの」です。今まで乗り越えられたからと言って、これからも乗り越えられるとは限りません。ですが、「今までもなんとか乗り越えてきた」という歴史が、これからも乗り越えてやろう!という勢いにつながっているのではないでしょうか。就活生はこうした商社マンの脈々と流れるド根性精神を知っておいて損はないかもしれません。

発展編

これから直近で予想される大きな困難ってなんでしょう??それを認識しておけば、みなさんが受ける商社の弱みもおのずと見えてくるかもしれません。
例えば、資源価格の下落については、どの商社も対策しているでしょう。資源価格の下落で大損した経験のある商社は少なくありません。どんなことが困難になりうるのでしょうか
(参考)
浅野展正 「総合商社の存在意義についての考察」
http://www.u-hyogo.ac.jp/mba/pdf/SBR/3-2/001.pdf